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〜教育と、教育観を再構築し続けるコミュニティ〜
2024年05月04日 (Sat)
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2010年08月26日 (Thu)
おひさしぶりです^^
りんりんです。

この4月から、小学校で常勤講師として働かせてもらっています。
あれよあれよという間に、一学期が終わりました。
あっという間に、もう二学期です。びっくり。


ちょっとだけ、最近のことを。


(※)「なんで自分は教育に~」シリーズの続きも、ポレポレ書きます。
(´∀`)ノ



*  *  *  *


「自分は何を目指すのか」
「人生で何をなし、どう生きたいのか。」
なんて、難しく考えてしまう癖があります。

「どういうポジションから、何に、どう働きかけたいのか。」
進路を決定するのに、迷って、迷って、迷って。
大学の4年間、いや高校生当時から7年間、かけてしまいました。

いろいろな考え方があるのでしょうが、
「目の前のことを一生懸命にしていこう」が、今辿りついたところです。


自分の「やりたい!」を見つめると、
(純粋なやりたいや、経験として・知りたい・自分のためといった、
 純粋じゃない理由のやりたいも含め)
学校で、働きたくなりました。
先生を、したくなりました。
抽象的でない子どもと、関わりたくなりました。


進路が決まったのは、4回生の2月末でした。
どんだけ迷うねーーーん。(笑)


* * * *


4月からは、体当たりの毎日です。
子どもらに笑わせてもらったり。感動したり。
日々事件と発見の連続です。
腹が立ったり…することはあんまりないなぁ。


分からない手探りの中で、いろんな先生や地域の人に相談させてもらい。
教えてもらい。
本当に、恵まれています。
悔しいのは、自分の実力不足。
「仕方がない」部分もあれば、
「仕方がない」でストップさせてしまってはいけない部分もあるんやろうなぁ、と思っています。

折れたり、しゃげたりする程自分を責めても、
相対する子どもにとっても、一緒に働いてくれてはる人たちにとっても、マイナスで、
そうなったら元も子もないよな、なんて思ったり。
…その考え方が、自分への甘さを正当化しているだけにも思えたり。


「がんばる」の度合いが、難しいです。
ランナーズハイ状態になったり、ガス切れしたりの1学期でした。
んー、でもやっぱり、「がんばりたい!」ですね。


* * * *

お仕事は、担任ではありません。
気になる子どもの支援や、地域や外部支援機関との連携・研究等校内の方向性づくりやマネジメント、算数や国語の基礎学力保障(授業や取り組み)とかが、私の仕事になります。
…できていないこといっぱいです、はい。


---

子どもの支援は、例えば学校来れていない子を迎えに行ったりしています。
放課後や夏休みで関係をつくったり。
気になる子の様子を、ほかの先生や連携会議で協働先に伝えたり。
1学期の反省は、情報の伝達係に終わってしまったこと。
もっと、子どもを見ないと。かかわろう。知ろう。遊ぼう。
そして、聞こう。うん。
何よりも、子どもともっと向き合う。
ここ、がんばる。


---

校内の取り組みの方向性づくりや学校組織のマネジメントについては、
まったくできていません。。
自分自身が、学校の全体を把握すること、教師の仕事を把握することでおわってしまった1学期。
ほかの先生に任せきりにしてしまっていました(;_;)
各種会議も、もう少しうまくできるところがありそうやなーと思いながら、
何も言えてなかったり…。
1学期で、関係性はできた気がする。本当にステキな職場。
2学期から、空気を読みすぎず、すこしずつガツガツいきます…!
ここ、がんばる。ドキドキ。


---

算数の授業スキル、ぜんぜんありません。
教材分析や板書、ノート指導といった基礎・基本がダメダメです。
子どもたちの学習意欲を高めるアプローチも、煮え切らない感じです。
学習環境のデザインも、うーん、、、。

自分の中での目標は、
「自分らで勝手に楽しく、分かったに向かえる」
…学力の低さよりも、学習意欲の低さが気になる。学習意欲が高くなれば、学力は一定レベルまでは絶対上がる。と、思います。
「算数や国語の学びが、自分や自分の見ている世界を豊かにすると感じられる」
…難しいかもしれないけれど。最終的には、学びへのモチベーションを、そこに持っていきたいです。
遠い! ポレポレ少しずつ、やっていきます。

何人か、「算数好きになった♪」や、「あとちょっとで分かりそうやからこれ持って帰ってやっていい?」って声が聞こえてきたのは成果^^
いい文化を、子どもら同士のやり取りの中で、広げていきたいなー。
そのデザイン。ここ、がんばります。


* * * * *

昔だと、「3年先生して、その後~~~、」
なんて、ライフプランを立てていました。
そういう風に、戦略を自分の人生にも立てることも大切なのかなぁと思ったりもします。


だけど、今は、ちょっと違います。

「いつまで続けるかわからんな」とも思ったりします。
「ずっと先生続けたいな」とも思ったりします。
「自分のやりたいことは、本当にこの仕事なのか」とも思ったりします。
いろんな声があって、どれも本音みたいなので、
目の前と向き合いながら、
自然と、次の選択の時期には、どれかの自分が、大きく声をあげるだろう、なんて思っています。
どこか楽観的です。(笑)


でも、やっぱり日々のこと、明日のこと、二学期のこと、長くて1年のことしか見えていないし、見えにくいのも、事実です。
目の前を進める中で、ゆっくりと止まる時間も意識してつくっていかないとなぁ、とも思ったりしてきました。




そんな感じの夏休みです。

ラスト1週間!!
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2009年12月25日 (Fri)
きのくにを卒業し、私は地元公立校へ進学しました。
このときに感じた様々な疑問が、私の教育への問題意識が生まれた原体験です。

 
高校時代は、自分史上一番尖っていた時期です。
最近では、色々な人と話す中で、相手の立場や思想を考え、婉曲的な表現に変えたり、
また、自分自体の考え方も変わってきていて、
そんなに極端な表現をすることをは少なくなってきました。(少ないと、自分では思っていますが、どうでしょう。)
そういった理由で、最近ではむしろ、極端な考えや意見を言うことが出来なくなってきました。
 
だけど。
自分の現在の思考・思想への「足跡」をちゃんと振り返るためにも、
ここでは、少し極端な表現になっても、そのときの自分の考えや感覚をしっかりと振り返っていきたいと思います。
 
偏っているところ、見えていないところも多くあるかと思います。
だけど、「そのまま」を出させてください。
 
 
*   *   *   *   *
 
 
高校では、本当に毎日が驚きの連続だった。
【学校】【教師】【生徒】【授業】【学び】【教育】【ルール】【社会】【常識】
それらが、前提から全て違っていた。
『異文化』という言葉がピッタリくる。
異国の地に来た気分だった。
同じ日本語を話しているはずなのに、同じ日本で生まれ育っているはずなのに、
何を話しているのか理解が出来ないし、言葉が通じないと思った。
言葉に込められた、思いや、感覚や、思考や、価値観が。
 
しかも、自分以外の人間は、理解し合っているように思った。
自分にとっては『異文化』であったその環境は、そこにいた人にとっては『当たり前の世界』であった。
自分が宇宙人になってしまったような気分になった。
 
 
入学して早速行われたオリエン合宿での集団行動指導は、
集合や行進の仕方の練習を行い、
一番遅いチームは体育館の中を走るという罰が与えられるものであった。
繰り返し「○○高校生としての自覚を!」と声高に叫び続ける
生徒指導の教員に対する恐怖感により、集合・行進を繰り返す様子に、
どこか別の世界に来てしまったのだという感覚を持ったことを覚えている。
今にして思えば、入学当初は締め付けを強化している時期だったのであろう。
 
1ヶ月に1度は必ずある服装検査では、教員4~6人囲みで、
髪型・眉毛・ピアス・スカート丈・靴下・化粧の有無等、
それこそ頭の先から足の先まで検査されていた。
爪をチェックしてもらい、次に髪型をチェックしてもらう教員のところに行き、
次にスカート丈を…という流れはまるで、
ベルトコンベアーを流れ、優・秀・良・可・不可をつけられ出荷される商品の気持ちであった。
 
高校2年生から本格化する進路指導では、どこに進みたいかというよりも、
偏差値を見ての指導がなされていたし、生徒の側も偏差値を見て志望校を決めていた。
現在の偏差値から±5程度のところが進学先として有力になってくる。
自らの偏差値の10上や逆に下を志望する生徒はいなかった。
 
授業は、眠るための時間、もしくは話をしたり手紙交換をするための時間だった。
はじめてその授業光景を見たときは、驚いた。
だれも、授業の内容に集中していないし、教師の側もそういうものだと授業を進める。
しっかりと授業を聞き、あてられてもいないのに質問をしようものなら、
「真面目」という『マイナスの評価』を生徒から付けられる。
義務教育は中学まで。高校に進学を【決めた】ということは、
何かそれぞれに高校への意志があったのではないかと、私はそれまで思っていた。
現実は、行くのが当たり前だから、みんな進学していただけの話だった。
 
 
初めの1年、特に半年間は、本当にしんどかった。
自分の中の常識が、ガラガラと音を立てて崩れていった。
かといって、みんなの見ている『当たり前の世界』を同じように『当たり前』と見て、
その文化に染まることも出来なかった。
牢獄に囚われる夢、「1-1-13 神野有希」と自分に囚人番号が付けられる夢を見た。
 
 
 
そんな中で、はじめ、【敵】は自分と同じ立場にある生徒だと認識した。
 
具体例をあげればキリがない。
小さなことでは弁当を食べるグループが毎回固定であることから始まった。
 何でそんなにグループにこだわるのか、一人だと耐えられないのか。
 何で一人でいる子を見ると、可哀想という感情になるのか。友達探しに必死なのか。
授業への消極的な参加は、あり得ないと思った。
 来たくなければ来なければ良い。学ぶ気がないのなら何故進学を選んだのか。
 自分がそのときにその学習に興味が無いのならそれでいいけど、
真面目に学ぶ子にカッコ悪いとラベルを貼るのは何で。
アンケートや感想文での、建前の文章も気に入らなかった。
 本当はそんなこと思ってないでしょ。
教員や学校側が求めているだろう答えを書いたり発言して、何が感想文だ。
靴下27㎝まで、喫茶店・カラオケボックスへの生徒だけへの入店不可。ばれない様に。
 何でそんな時代錯誤なルールを続けるのか。変えようよ。
 服装検査のときだけ髪もくくってスカート下ろして、体育館を出た瞬間元に戻すその努力は何。
その判断基準、どうなのよ。
 正しいか正しくないか、自分が善いと思うか悪いと思うかではなく、
 褒美や罰が与えられるから、みんながしているからという判断基準が、あまりに一般的なことに落胆した。
 
正直に振り返ると、はじめ私は、同じ立場にある生徒を見下していた。
変化が起きたのはすぐだった。
 
何人かと遊びに行ったり、話をすることがあったんだけど、
生徒の多くは、学校を離れ個別で話すと自らの意見や見方を持ち、考えていた。
見下していた自分が恥ずかしくなる位、私以上に考えている子なんてたくさんいた。
だけどどういう訳か、学校へ入ってしまうと彼らは自分の本心をあまり出さずに、
授業中やホームルーム・集会・服装検査、すべてのときにおいて【生徒という役割】を演じていた。
【学校】では考えることを、自らの意思を持つことを、それを表明することを止めているように感じた。
彼らにとって、学校というのは自らのままで関わっていく場所ではないという認識があったように思う。
 
 
なんで生徒がこうなんだろう、なんで学校ではこうなるんだろう。
そう考えると、すぐに次の敵は【教師】になった。
高校時代、私は、先生が大っ嫌いだった。
 
授業は聞くもの、という姿勢。
ルールは守るもの、という姿勢。
高校生には高校生らしさ、中学生には中学生らしさ、という姿勢。
 
教員の絶対的な権威による統一。
本音と建て前を使い分ける文化、そしてそれが社会なのだという認識。
集団心理を利用した見せしめや連帯責任による教員の指導。
校則は理由の説明ができなくても決まりだから守らせる。
生徒の進路は学校のレベルに関係するからという理由で、力を入れる進路指導。
 
校則ひとつをとっても、その校則自体に意味があるのであれば、
教師の役割は意味を伝えるだけ、考える機会をつくるだけでいいはず。
意味の無い校則を無理やり守らせないといけないから、力でもって征服するのだ。
授業も、学ぶ内容に意味や意義を教師自身が感じていないから、力でもって前を向かせるしかない。
 
 
何で教員はこうなるんだろう。何で。
しばらく考えると、敵は【学校】と、家庭であったり【社会】というものになった。
 
進路の数値を上げるのは、地域や世間からの評価があるため。
自分のクラスで生徒の指導をするのは、他の先生からの評価があるため。
偏差値による進路指導も、多数の親が求めていることでもある。
生徒の出る杭を打つのは、生徒が出たことによって自分が出る杭になるのを防ぐため。
 
理由は何となく分かるけど、でもそれで良いの?
この人達は、何で教師という仕事をしているんだろう?
 
 
【教師】も【学校】も【世間】や【社会】も、敵だった。
嫌いだったし、恐ろしかった。
 
本当に、本当に嫌いだった。
ときには個人面談の時に、ときには放課後涙ながらに、自分の感情を担任の先生にぶつけ続けた。
ここでの学びはおかしい。
ここでの教育はおかしい。
なぜ、教師にとっても生徒にとっても苦役になっているのか。
そんな学びに、授業に、ルールに、一体何の意味があるのか。
なんの為に学校があって、なんの為に教育があるのか。
先生は、何も感じないんですか?
私は、おかしいと思います。
 
今にして思えば、担任の先生は悪い先生じゃなかった。
申し訳ないことをしてしまったなとも強く思う。
 
 
私の考え方が大きく変わったのは、その先生との話をしているときだった。
いつもは聞いていたり、うまいことやり過ごしていた先生のポロっと出た一言。
 
 
 
「お前は、現場の教師が、これで良いとか、何も疑問を感じずにやっていると本当に思っているんか?
理想とすることや、疑問に思うことがある中で、それでも現実の中で葛藤している教師の、
その何を知っているんか?
お前の言っていることは分かるし、ある面とても正しい正論だとも思うけど、
この学校の生徒を、教師を、学校を、一面的に否定しているように、悪だと言っているようにしか思えない。」
 
 
 
言った後に、言ってしまったという態度をとっていた先生の、
この本音の一言が、私はずっと忘れられない。
 
ああ、この人たちは、ここは、【敵】じゃなかった。
私を苦しめているように思えた【先生】や【学校】【世間】【社会】は、敵じゃなくて、
色々な繋がりの中で、関係性の中で、
それ自体が苦しみながら、そうならざるを得ないような形に、今なってしまっているんだ。
 
 
じゃあ、いったい敵はどこにいるんだ?
敵は何なんだ?
 
散々教師や学校を敵だと認識してきた高校の3年間。
卒業する間近に、「そうではない」と思った出来事だった。
 
 
高校時代の思索は、もう少し続く。
 
2009年12月20日 (Sun)
こんばんは。りんりんです。
お久しぶりです!

ここ2日、色々な人と出会い話をする機会があり、
その中で、「そもそも私は何で教育に関わって生きたいんだ?」と考えることがたくさんありました。

少しずつ、少しずつ整理していきたいと思います^^

*   *   *   *   *


小学校の4年生から、中学を卒業するまで、私は和歌山にある
きのくに子どもの村という学校に通っていました。

「学校」といっても、とても変わっているところで、
総合学習のテーマ別でクラス分けがされている学校でした。
木工をする「工務店」、料理をする「うまいもん」、縄文時代を体験する「歴史館」など。
毎年年度の始めに、クラスの内容、他の子どもの顔、担当の大人などを見て、
どこのクラスで今年1年を過ごすかを、子どもが選択します。
だから、小学校では1~6年生、中学校では1~3年生の
完全縦割り学級になります。
詳しくはhttp://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php

そんな【学校】でした。


卒業式の当日まで、竪穴式住居を建てました。
雪が吹雪く中、高原に葦を狩りに行き、休日は保護者動員で葦狩りをしました。
(大人の立てた計画や見通しがあったのですが、予想できないことも多々。)

畑で野菜を育てました。
植物を育てる上で適した土を整理する為、土の酸性アルカリ性を変える比較栽培を行い、学ぶ子がいました。
ジャガイモを育て、遺伝について学ぶ子がいました。
その子は次年度、「動植物研究所」というクラスに入り、アメーバについて研究し発表していました。

そんな【授業】でした。


ミーティングの時間がたくさんありました。
全校ミーティング・全寮ミーティング・クラスのミーティング
寮の部屋のミーティング・犬委員会のミーティング
行事委員会のミーティング・ミーティングを考える委員会でのミーティング。
週に2回は必ず、どこかで何かのミーティングがありました。

行事を開催するかどうかを決めるミーティング、
犬の名前を決めるミーティング、
イジメや盗難について話し合うミーティング、
お風呂の時間や使い方のミーティング、
来週や来学期の活動計画を立てるミーティング。

全校ミーティングでは、小学校1年生から中学校3年生まで、大人も一緒に、
250人前後が一同に集まって進めていました。
ミーティングボックスがあり、そこには誰でも議題を出すことができました。
困っていることを書く子、提案したいことを書く子。
10分で終わる議題もあれば、1学期間費やす議題もありました。

自分とは異なる人が集まっての共同生活。
ぶつかってくる主張と主張を解決するもの・折り合いをつけるもの、
それが【ルール】であり、【校則】でした。
【ルール】は、それぞれがより自由になるためのものでした。


教科学習の時間もありました。
一斉授業のスタイルで進めるものも、個別授業のスタイルで進めるものも、
教え合いのスタイルで進めるものも、ありました。
特に理科や数学は、知識が増えると、自分の世界が豊かになる感覚が強くありました。
世界の見方が、広がったり深まったりする感覚がありました。

人間の構造はどうなっているんだろう。
空は何で青いんだろう。
自分の声が、ビデオで聞くと違うのは何故。
夏と冬の日の長さや気温が違うのはなぜ。
自分と他人の認識が違うのはなぜ。何で私はこの身体の私なのか。

どこからが教科で、どこからが総合学習で、どこからが哲学か、
分からないけど、でも、
「何で?」と、「そうか!」「だからか!」そして次の「何で?」
その間にあるものが、学びだと思った。

【生きる】ということは、【学ぶ】ということだった。
【学ぶ】ということは、生きるということで、
学ぶということは、より幸せに向かうためのものだった。
そして、その行為自体も幸せで楽しいものだった。


そんな、小中学生時代を過ごしました。

中学校3年生になる頃には、子どもなんだけど、
すっかりお姉さんというか、自分の気持ちでは子どもの中の大人というか、
子どもの中の、先輩という感覚がありました。

自分よりも小さい子ども達が、
自分とは全く違う世界の切り取り方や見方をしているのを見て、
面白いな~と関心したし、
人数がいればいた分だけ、同じ経験をしても、そこから得るものに
様々な違いがあることに面白さを感じて、
そういった瞬間を見続けたい、そういった瞬間の作り手になりたい、と思って、
先生になりたいと思うようになりました。

【先生】は、子どもの学びの瞬間に立ち会えたり、
その発見や見ている世界、またその世界の変化を間近で触れさせてもらえる、
とっても幸せなお仕事だと思いました。


そして、高校進学時になり、公立校への進学を決めます。
きのくには高等部もあるのですが、自分はそこへ進んではダメだと思いました。
この環境はとても居心地がいいけど、ダメだと思いました。

自分は先生になりたいのだから、そのためには、
自分自身が、学習者として、
いわゆる一般的だと言われている「学校」の中に自分を置かなければ、
そこの世界を理解することは出来ないな、
つまり、日本で先生をすることは出来ないなと思いました。



ここからが、とっても大変でした。
闇の3年間の始まりです。(笑)
2009年10月26日 (Mon)
CORE+でやった、初めてのツアー、関東ツアーのビデオ記録を見ていました。
文字起こしをしていかなきゃ…!

神野、卒論のテーマは「教育観の自覚(と再構築?入れようかどうしようかちょっと迷っている。。)」です。

自分含め、日常で行っている教育活動って、
どういう授業をつくり、どういう学級を経営するかはもちろん、
休み時間の声かけひとつとっても、
前提として、教育者や学習者、学ぶことや教えること、教育や社会や世界を、
どういう存在として捉えているかって言うことが表れていると思っていて。
意識していようともしてなくても。

それこそ、
「人間は、ほっといたら勝手に社会の中で学んで生きていくんや」って人もいれば、
「必要な時期に必要なことを働きかけて(教育して)、生物学的なヒトが社会的な人になっていくんや」って人もいて。
そういう、人間とか、人間の成長とかを、どう捉えているかって、
すっごく大事だと思うのです。

でも。
教育大学で4年間過ごしてきて、
授業について・学級経営について、具体的なハウツーや理論を学ぶことは多くあったけど、
(それも、大切やと思うってことはもちろん大前提。否定・批判したいわけではありません。
そして、身についているかといえば、自分はまだまだヒヨッコだと思います。)
自分がどういうふうに教育とそれに関わることを見ていて、どういうスタンスで関わっていこうかというようなことを、
授業その他をとおして深め、考えられる機会って、あまりに少なかったなと思っていて。

そのへんを問題意識に思っていて。


「教育観」っていうのは、だれでも気づいてなくても持っていると思っていて。
それを自覚する、そのきっかけには、どういった要素が関係しているのかっていうことを、
全て明らかにすることは難しくても、いくつか抽出することはできると思っていて。
そんなことをしたいなぁと思っています。


それで。
どう進めようかなぁ。。と思っていたのですが。
ある日ふと気付いて。
これって、自分がCORE+で活動してきたことよなぁって。
(正確には、先輩M子さんの神的なコンサルティングの末に。笑)

結局、身近なものを資源として使うというか、
自分のやってきた活動を、理論的な側面を強化したり、活動から理論的なものを抽出したり、関係づけたり。
そんな卒論になりそーな予感です。


それで、やっぱり自分にとって一番衝撃の大きかった、関東ツアーのビデオを見ていて。
なんだか、初心に戻ってきたのです。
やっぱり、こういう場を、機会を、私はつくり続けたい。
と改めて思ってきました。

一つひとつの活動に、魂を。
そんなことを思う真夜中、でした。



ちゃんちゃん。
2009年10月21日 (Wed)
りんりんです。
ごり押しムービーの紹介。
PCからぜひぜひ見てみてください(・∀・)

いくつか抜粋。
なんか、この子達の言葉って、ドンっていうか、ズシって言うか、くる。
東京シューレの子が書いた文集のときにも感じた、この感覚は何なんだろう。

◇ 色んな価値観があっていいっていう自由。色んな価値観があるからどこかで繋がっていくっていうか。

◇ 遊びみたいっていったらなんだけど、それくらいの感覚で色んなことをできる、そういう自由がある。

◇ 自分のやりたいことと社会の繋がりができてきて。

◇ 自由って勝手でいいって思ってたけど、そうじゃないっていうか。何かのルールのうえじゃないと成り立たない。自分の勝手で、人が不自由になっていたら、それは自由じゃない。

◇ 小学校のときとか、先生の狙っていることを言わなきゃいけなくて。ここでどんなこと思った?と聞かれても、自分がどう思ったって言うより、先生の理想を言うっていうか。 自森に来て、自分が思ったことを言えて、他人が思ったことも全然違った子でも受けられる、そういうのがいいなって思った。

◇ 自分から発信したら、共感するなり反発するなり、何かが返ってくる。

◇ まだ上がある気がしていて。もっといきたい。

eye.jpg

http://www.jiyunomori.ac.jp/J-magazine/photo/movie09/index.html

(ムービー再生中にメモった程度なので、ぬけもれ等かなりあります。
ぜひ映像で。見てみて。)

自由の森学園は、2年前、CORE+で初めて企画したツアーで行った、オルタナティブスクールです。

今日も緑さんと話していたんだけど、
私は、自森って、すごく、
「世界と繋がる、自分と繋がる」教育をしている学校だなって感じています。
ガッツリ長期間入ったことはないので、どこまで見れているかは分からないけど。

eye1.jpg

CORE+で会報ができました!
今までお世話になった人や団体や会員さんたちに送ります。
そこで住所を調べていて、ステキなムービーを発見した訳なのです。

思わず紹介したくて書いてしまいました。(笑)

※ 画像は自由の森学園公式サイトからお借りしました。
  http://www.jiyunomori.ac.jp/
 
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